【ワセ女が日本人ほぼ0のフィリピンの孤島で1年間暮らすことを決めた覚悟と想い】
Maayong hapon! どうもこんにちは。さくらんぼです!
この度、2019年3月末から1年間、
「世界の果てまで最高の授業を届けよう」とミッションを掲げる特例認定法人NPO e-Educationのカントリースタッフとして、
フィリピンのカミギン島に滞在し、
現地の教育支援に携わることになりました。
[CEO三輪開人さんとこれから海外インターンの2人]
今回の記事では、大学を一年休学し、e-Educationの海外インターンとして東南アジアの途上国であるフィリピンで挑戦をする決断に至った経緯を初心を忘れないように記しておきたいと思います。
人生観が180度変わったバングラデシュでの強烈な経験
私が人生初めて、所謂途上国と呼ばれる国、訪ねたのは高校2年生の時でした。当時アジア最貧国と言われていたバングラデシュ。
クラクションが常に鳴り響く首都ダッカで見た、ものすごい人の数と勢いで成長していくバングラデシュの都会。
幾らするのかも検討がつかないような煌びやかなドレスがショーウィンドウに飾られている華やかなお店から歩いて5分のところにあるスラム街。
そこには、人々の生活廃棄物、汚物、排気ガス、全てが混ざった鼻が曲がりそうになるような臭いがたちこめる。
自分が日本で生きてきた世界とは、まったく違う場所・環境で強く生きている人々がそこには生活していましたた。自分の非日常で、この人たちは毎日を生きている。
膝から先がない足を見せて一生懸命に物乞いをしてくる6歳くらいの男の子。お腹がぽっこり出ていて道端で下痢をしている3歳くらいの赤ちゃん。両脚がなく台車の上に乗ってひたすらに追いかけてくる男性。
自分の尊厳というものを奪われて搾取され、明日の命もわからない人々がこの世界には沢山いる。その時、人間はみんな平等だという言葉がバカらしく聞こえたのでした。
足りないだらけの教育課題に直面
バングラデシュの農村部、自然豊かで美しいボダに位置する私立小中学校行ったときに感じたのは、教育に対する課題そのものでした。
200人以上いる子どもたちに対して校長先生合わせて7人、教室は3つという現状。
靴が買えない子は毒アリがいる中を裸足で駆け回っている。プラスαの支払いをすることで受けられる補講授業があってそれが受けられないとどんどん落ちこぼれていく。
先生自身に対するトレーニングも施されておらず自信を持って生徒たちを教える方ができなかったり、また給料もとことん安い。
全ての要因が絡まり合い、解決を遠ざけている。
私は、この時ただ自分の無力さを感じていました。当時英語さえも満足に話せず、ちっぽけで本当に何の役にも立てない自分に腹が立ったし絶望した。
日本に帰ってしまえば、何も見てこなかったかのように日本で生活できてしまうという自分の立場がずるいと思った。
それでも、習ったことを私に嬉しそうに話しにくれる生徒たちやボロボロの制服を着て
「高校を出て働いていい仕事について家族を助けたい」
とキラキラした目をした子をみて、
"教育が人生の可能性を広げるための鍵になる"
ということをただただ感じたのでした。
そして、このような境遇にある子どもたちが世界には
たくさんいるということを知ったのでした。
教育が誰かの世界を広げるチャンスをくれる
それからというもの、教育を通じて人の可能性が広がったり、新しい世界が見えて、その人の人生がそれまでよりも楽しくなったりすることに興味を持ち始めました。
心のどこかでは、知ってしまった以上何かしなきゃという使命感のような感情もあったかもしれません。
大学に入ってからも、国際開発学や英語科教職員免許取得のための授業をとったり、
実際に、現地のカウンターパートと協力し、奨学金や交流会を通じてベトナム、
ホーチミンで教育支援を行うボランティア学生団体の中で活動したり。
自分が取り組もうとすることに、
教育というワードが付くことが自然と多くなりました。
イベントを企画、運営をする中で、
現地の人々が何を求めていて、
どうすれば持続的な関係性を続けていくことができるのか、
考える時間がたくさんありました。
[パートナー団体と協同で行っていた交流会]
学びも多かったその一方で、たった3週間の現地の活動の中で、
この短期間で私が現地の課題を本質的に理解して、
そこにいる人々に寄り添って共に成長することの限界と自分自身の傲慢さを知ったのも事実でした。
デンマークへの留学
2017-2018の1年間はトビタテ!留学JAPANプログラムを通して、
「先進国と途上国の人々がどのように繋がり合うことができるのか」
というテーマを掲げ、デンマーク、コペンハーゲン大学に交換留学をしました。
そこでは、大学での勉強に加え、フェアトレード商品を取り扱うカフェ・ホステルでインターンをする日々を過ごしました。
国際協力という1つのテーマにしても、本当に様々なアプローチがあるということを改めた1年間でした。
大学を休学して一年新興国で挑戦する決意
そんなデンマーク、コペンハーゲンでの留学も終盤に近づいてきた頃、私の中で膨れ上がってきた想い。
「このまま、社会に出て後悔しないか?」
帰国して、就活をするなら大学生活はほぼ3年間。自分の中でなんだかまだやりきれていない思いが残っていました。
「もっと長期的に、途上国の教育課題に貢献して、誰かの見える世界を広げる手伝いをしたい。」
大学を一年休学するという決断はもちろん
かなり大きなことで
もちろん家族にも、周りの人たちにも
心配も迷惑もかけたと思います。
でも
" 一回きりの人生で、後になって
挑戦しなかったことの後悔はしたくない。
そして、社会に出る前に今まで逃げてきた
自分の弱みにも向き合いたい。"
その自分の気持ちを無視することができなかった。
私の想いを受け入れて、
応援してくれる家族や周りの人々を持てたこと、
本当に、本当に幸せに思います。
現地で目指したい姿
「開発途上国における学習機会に恵まれない人々が夢や想いを実現し、自分に誇りを持って行きていけるようになる世界」
というビジョンを掲げています。
" 夢や想いを実現し自分に誇りを持って
生きていけるようになる世界 "
カミギン島の情熱に溢れる人々と出会って
一緒にこの世界に近づけたい。
現地の人々の人生に、
ポジティブな影響を与えられるように。
そのために、自分自身が苦手に真っ向から向き合いたい。
自分が生まれた環境に感謝し、応援してくれる大切な人たちに恩返しをする意味でも、この1年間を悔いのないものにしたいと思います。
高2のこの時の自分が出来なかったことを。
長い文章、ここまで読んでくださりありがとうございました!!
【ツッコミどころ満載 インド旅 〜カルカタの街をぶらり②〜】
どうもこんにちは!さくらんぼです。
今回も前回のカルカタをぶらり旅①に引き続き、インドでの旅路を記していきたいと思います。
①はこちらから
【ツッコミどころ満載 インド旅 〜カルカタの街をぶらり①〜】 - さくログ
疲れていたのか、20時半に寝落ちし、朝4時に起床。その後、また一寝入りしようと寝たら時計は8時半を指していた。
部屋に窓がないため、光が入ってこない。
下手すれば昼まで寝てしまいそうだった。
11時にチェックアウトして、
カルカタ二日目開始。
ホテルがあるMedical collegeの通りには、
朝から露店がずらりとならぶ。
カレーやチャパティ、魚、お菓子、日用品、洋服、靴、おもちゃなど本当に様々なものを売られていて活気がある。おかげで道は、常に人と車両でごった返している。
朝ご飯には、インド庶民の定番らしい卵の中に青唐辛子と玉ねぎが入ったものをパンと一緒に焼いたものを露店で食べた。
朝からカルカタの街をブラブラ。
露店の店主が、
明らかに下水とみられる道の脇から溢れ出る水でお皿を洗っている。
「こりゃ、
日本人がお腹を下すのも仕方がない」
と思いつつ、見なかったことにして
歩き始めた。
途中、街のあちらこちらで
水浴びをする人を見かけた。水道が家にない庶民は、街のあちらこちらにある水浴び場でシャワーを浴びたり、もしくは井戸から生活水をくみ上げて各自使っているらしい。
前日にホテルを探している時に迷い込んだ道を探検してみようと、小道に入っていく。
まさにカルカタに住む人々の生活スペースそのものが見られるような場所に差し掛かった。
そこでカメラをぶら下げていた私の連れに
対して、そこに住む人々に話しかけてきた。
「そのカメラ危ないから
カバンの中しまいなさい!」
とヒンドゥー語で言ってくれたのだと勝手に解釈をした。
それにしても、カルカタの小道で、
何を言っているのかわからないインドの人々
にひたすら真顔で詰め寄られたのは、
少しばかり怖かった。
奥へ行くとスラム街に
続いていくような場所だったのであった。
インドで一眼カメラやスマホを出すときは
周りの治安を十分にチェック、
その上で、細心の注意を払いながら
使わなければ危険な目にあうということ再確認。
[完全に住宅スペースにお邪魔している]
歩いていると大きなマーケットに出た。
買い物をする人、売る人、物を運ぶ人、通り掛かりの人でごった返している。
[路肩でカードゲームを愉しむ人々]
[皆さんそれぞれ自分の傘の下で野菜、魚、フルーツ、米などを販売]
本当に様々なものが売っている。
雰囲気としては、
ジャスコ(ニュアンス的にイオンではない)が
全て露店化したような感じ。
フーグリー河が近く、
魚が有名なカルカタの市場では魚も売られていたが、いつにも増してハエがその魚に集っていてその臭いに足を早めた。
Kalighat寺院へ
そこからはUber poolを使ってKalighat寺院へ。
入場料は無料。
靴を脱ぎ、びちゃびちゃに水で濡れた床を行く。
Kalighat寺院では、カーリーという神様を奉っているお寺のようで中には炎のようなものが見えた。
午前中は寺院でヤギ一頭殺し、
その頭を生け贄として捧げるのだそう。
インド人と一緒になって、
お祈りの神聖なオレンジ色のマークをつけられる。
Kalighat寺院のガートへ行くと、
その川の汚れ具合に唖然。
ゴミが浮いていて水の色も濁りに濁っている。免疫力がない、自分が浸かると身体を壊してしまいそうだ。
その後、近くのホテルで昼食。
カルカタの名物である、Patriというマスタードで魚を蒸したものと
マスタードベースの魚のカレーを食べた。
ホテルの一階にあるレストランなだけあって、今までにない高級感。
とっても美味だった。2人で600ルピー。
カルカタの街角での素敵な出会い
その場を後にして歩いていると、
17歳くらいの若者たちに話しかけられた。
俺たちについてこいという。
初めは少し疑ってはいたが、
ついていくと誰が作ったのかわからない、
どでかいキングコングと神様の像みたいなものがいきなり小道に現れた。
外国人観光客の私たち2人に対し、 この椅子座っていいよ、チャイティー飲みな! と振舞ってくれる。彼らはこの辺りに住んでいるようだった。
若者とちびっこたちは俺たち私たちの写真を撮ってくれ!とポーズを決める。
人懐っこくセルフィーセルフィー!と自撮りをせがむ子どもたち。
[持ってきたオカリナで一役人気者に]
最初は警戒していた一番のチビちゃんも、
最後はちょっかいを出してくるまでに心を許してくれた。
もうちょっとベンガリ話せたらなぁ~と一番に思った瞬間だった。
次、成長して大きくなったあの子達に会えるよう、私も成長してあの場所に帰りたいと思ったのであった。
その場所を後にして、
モスク、ナコーダマスジットへ。
アザーンが鳴り響くカルカタの街を散策。
街中の市場があるところの真ん中にあり、しかも夜だったため、あまり全貌は見えなかった。
明るい時に行くのがオススメ!
人生初!バラナシ行きの夜行列車。
その後、タクシーでRawhar駅に向かって
夜ご飯を食べた。駅近くにあった路上のカレー屋さんでAloo系と魚系のカレーとご飯を食べた。お腹満腹になって1人80ルピーで激安。
そのまま、朝食のフルーツケーキを買い、
20時発のバラナシ方面行きの寝台列車の車両に乗りこんだ。
この寝台列車は、値段によって
乗れる車両が決まっている。
眠るベッドがないゾーンはスリーパーと呼ばれる。こんな感じ。
人々が互いに車両に身体を押し込み合っている東京を思い出した。
私たちは3Aと呼ばれる、
3段ベッドで寝るはずだったが、
たまたまグループ客が乗っていて、
運良く2Aと呼ばれる2段ベッドの方を
使えることになった。
それぞれの簡易ベットに置かれている毛布に、自分で新しいシーツを取り付けて就寝。
寝台列車といってもちょくちょく
他の駅に停車するため、客の入れ替わりはかなり激しい。
人生初の寝台列車だったが、
思っていたよりも寝心地がよく
ぐっすり眠れた。
カルカタ総括
カルカタはあまり見所がないと言われがちのようだけれど、全くそんなことない。
カルカタの中心街を歩いていると、いろんなものが目に映り込んでくる。
歩いているだけで人々が生活しているのを間近で見ることができる街だった。
観光地だけを回りたいだけでなく、人々が生きている姿を見たい人には絶対的にオススメ
だと言える。
続いては、
インド人と共に生きる神聖な川、ガンジス川を拝む バラナシでの数日間の備忘録。
【ツッコミどころ満載 インド旅 〜カルカタの街をぶらり①〜】
どうもこんにちは!さくらんぼです。
この度は、10日間のインドへの旅に行ってきたので旅行記を記しておきたいと思います。
ついに、長年憧れを抱いてきたインドについに足を踏み入れる時が、来た。
31カ国目になる今回のインド旅では、
10日という短い期間ではありながらも
カルカタ→バラナシ→アムリトサル→マクロドガンジ→ニューデリーというルートでインドの多様な街を五感で体感。
今回はカルカタ編①をお伝えします。
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まず、日本からバンコクの
ドンムアン空港で乗り継ぎ。
次のカルカタへのフライトまで時間があったので、タイ、バンコクで半日ぶらぶらすること。
[寝釈迦仏が安置されるWat Phoには色とりどりの仏塔が立ち並ぶ]
[夕日に染まるWat Arun]
[めっちゃ人並びすぎてて持ち帰りにしたお店のパッタイ]
[路上マーケットのトムヤンクン]
足りない、もっといたかったと思わされるタイ、バンコク。
しかし私たちが今回目指すはインド。
ご飯も景色も美味しいタイに癒されたところで、いよいよインドへ向かう飛行機に。
どーーーーーん!インドーーー!!!
朝3時、インド、カルカタの空港に到着。言いようのない興奮が込み上げる。
インドに着いたのか、ついに。
こんな時間に外に出ても危険だろうからと、宿も取っていなかったので空港にそのまま宿泊。
他たまたま同じ飛行機だった3人の日本人と出会い、空港の手すり付きの椅子に寝そべって眠った。手すりの下を強引にくぐって長椅子を
ベッドにして寝るのは朝飯前←。
海外を旅行中に使える空港泊する人のためのサイトがあるのでご参考に。
The Guide to Sleeping in Airports
空港で朝8時半ごろに起床。ついに、カルカタ空港を出る。
始めての国の空港から出る瞬間のあの緊張感とワクワク感が入り混じった「何が待ち受けてるんだろう」という感覚は毎回たまらない。
カルカタの凄まじい交通量
カルカタのタクシーは黄色で可愛らしいデザインのものが走っている。乗る前に値段を決められる空港タクシーで1台300ルピーの市内へ。
市内へ向かう途中、早速すさまじいクラクションのオンパレードが私たちを出迎える。
インド人の彼らがクラクションを鳴らす感覚としては「はい、通るから気つけてね~」といった感じ。インドの街に欠かせない音楽になっているようにも思える。
途中で警察が取り締まっているのも目にしたが、このカオスな道路状態の中で、何が違反になるのかが気になる。
インドは左車線。いや、車線はあったり消えたり。たまに逆走している車もみる。
直進の信号は存在しているが、左折右折の信号はないことも多い。
歩行者がいても進めそうならだったらそのまま押し切るバス、大型車、タクシー、バイク。
歩行者も歩行者で信号が赤で、車がビュンビュン走っている中でも、その中を渡ろうとする。度肝を抜かれる。みんな、プロだ。
なんとか、ホテルに到着
結局10時ごろにでなんとか住所と限られた地図情報のみで宿泊宿、Hotel cecilへ到着。
Hotel Cecil | Comfort meets luxury
Medical college St.沿いで街中のど真ん中に位置していた。
中にいざ入ってみると外観からは想像ができないような、綺麗でセキュリティも整った宿が登場。部屋も予想以上の綺麗さで冷房付き。
ひとまずシャワーを浴びようとバスルームへ。
一瞬暖かいお湯が出たと思ったのもつかの間、水シャワーに。
冷たい水シャワーでありがたく汗を流す。
部屋でシャワーを浴びて、ひとまずゆっくりしていると、ネズミが登場。
ほほぉ、ここはインドだったということを
すぐさま思い出す。
ともかく、疲れをとるに十分すぎる部屋で、つかの間の休憩し荷物を置いてに出る。
バラナシ行き夜行列車を予約しに正規ショップへ
ひとまずバラナシ行きの夜行列車を予約しようとカルカタ唯一の列車の正規ショップへ。
そこまではタクシーで向かった。
[道端で仲良くなったおじさんたち]
朝ごはんもろくに食べておらず、
お腹が空いていたので、
その近くにあった屋台のカレーとチャパティ、アチャールのセット10ルピー(約15円)で食す。
美味しすぎる、感激。
隣に座っているインド人が器用に右手でチャパティでカレーを包んで食べるのを見よう見まねで同じように食べていると、店主はこちらの方を物珍しそうに見ていた。
手伝いをしていた少年は11歳くらいだったろうか。親の仕事の手伝いをして、生計を立てて暮らしているようだった。
インドのローカルバスでSIMを買いに
その後、SIMを買いに行かなければ、
現地の大手携帯会社AirtelのSIM買い・設定までしてくれるstoreへがあるPark St.へ。
そこまではローカルバスで移動。
これまたすごい、降りる人がいればバスはバス停で止まってくれるが、いない場合はスルーされ、次を待つ。
それでも、ものすごい数のバスが路上を走っているのでものの3分待たないうちに次のバスがやってくるのだ。
バス停が道に設置されているがインドの混雑した道で、特別バスが停車する場所があるわけではないため、信号が止まっている間に
バス内を取り仕切っている人が大声で行き先を連呼する。
バスの番号を確認して、他の車両に気をつけながら急いでバスに飛び乗る。
このようなバスが縦横無尽に街を駆け巡っている。
乗っているのは労働階級の人々だろうか、
バスの中を金回収の人が巡回しにくる。大体7ルピー10円、安い。
しかしまぁ、揺れる揺れる。
ヒビが入りまくっているフロントガラスやエンジン音で震えているレバーを見ていると、
命がけのアトラクションにでも乗っているような気分だった。
路線バスを無事に降りて
お目当てのAirtelの路上店舗でSIMをゲット。
10日しかいないけれど、ちょうどいいプランがなく無駄に28日プランを契約。それでも、1週間ほど以上のステイであればwifiを借りるよりも現地のSIMを買う方がお得だろう。
気をつけろ!カルカタの詐欺師に遭遇!
そんなことをして、街をブラブラしていると
"サダム、カー"と名乗る、日本語がペラペラの男の人が話しかけてきた。
ムスリムだという彼はとても友好的で実家はダラムサラにあるのだという。海外に行ったことがないが英語、日本語はペラペラ。世界中にたくさん友達がいるという。多くのバングラデシュ人が住むムスリムのエリアを案内してくれた。彼曰くカルカタ1ラッシーの美味しいpure milk cornerという店でラッシーを30ルピーで飲んだ。確かに美味しい。
ラインを交換しようとQRコードをスキャンしすると、弟の名前でラインをしているのだという彼。怪しい。。。
相方がネットで調べると、カーンという苗字のグループにより、同じような手口で詐欺にあった人の記事を発見。
急に怖くなってきた私達は、
何かされたという完全な証拠こそはないが、これから詐欺にあっては百害あって一利なしと、さっと距離をあける。
これから服選びたいから~と理由を作って、
新市街周辺でカーン氏と別れた。
なんだか裏切られたようなずっしりと重い複雑な気持ちに。
でも彼は本当にただ日本人の私達を助けて、仲良くなりたかっただけなのかもしれないと思えば思うほど、この場所で誰の言葉が何をもって正しいとされるのかが、どんどんわからなくなっていった。
物乞いをする人々と観光客としての自分
その後、旧市街周辺を歩いていると、小さな6歳くらいの女の子が話しかけてきた。女の子は食べるものが欲しいと訴えてきた。あのバングラデシュでの物乞いをされ何も渡さなかった経験がサッと脳裏をかすめた。
悩んだ結果、私たちはその子に140円くらいのお菓子を買ってあげることにした。
そして彼女を思い切り抱きしめた。
その子が物を乞い、
生きていくことを覚えてしまうという議論もあるし、その決断が正しかったのか正しくなかったのかわからない。
彼女が本当にお腹が空いていたのか、普通に食べるものもあるけれど、ただ旅行者に集ったのか。
自分が日本で一回板チョコを買うのを我慢するだけで、その子が普段なかなか食べられないお菓子を楽しめるのだとしたら、
それこそ、私がインドに行った意味が気がした。
落ち着いた空間、ビクトリア記念堂
その後は、気を取り直してビクトリア記念堂へ。
途中にあるモイダン公園を横切ると老若男女が思い思いにコルカタの街の混沌さから逃れて、だだっ広い草原で日差しを楽しんでいた。
その中でズボンを脱いで盛り上がっている若者の集団が高田馬場でどんちゃん騒ぎをする早稲田生を想起させた。
どの国も若者は一緒だなぁと一種の安心感を覚える。
その広大なモイダン公園には、
いたるところに大量のゴミが落ちていた。
まるで誰も気にしておらず、そこで寝転んだり座ったりしていた。
綺麗でゴミなしが当たり前の日本人の価値観を持つ私は、その状況を見て「汚い」と感じた。
その場所に寝そべったり人々にとっては、
雑踏の街の中のカルカタと比べると断然綺麗、と感じるのであろう。
人は当たり前次第で、同じ状況も相対的に見るもの、そのせいで全く違うように見えるんだろうなぁと改めて感じた。
ビクトリアの庭園に入るのは20ルピーいう安さ。
ビクトリア宮殿の中には入らず緑の上でゆったりとコルカタの雑踏から逃れてオカリナを吹いたりして時間を過ごした。
20ルピー中に払わなければ入ることができないこともあり、境内にいる人々はある程度
高い階級からの出であることがわかった。
修学旅行生、恋人同士、家族づれ、友達同士いろんなグループがいたが、街中のコルカタからは想像もできないような落ち着きで本当に中は別空間だった。
夜ご飯は天下のビリヤニ
ビクトリアが5時になり閉園のために追い出される。
お腹が空いたので、ご飯を食べに行こうとタクシーを使って新市街へ向かおうとすると、
タクシーが並んでいて逆ネットオークション状態。値切り合いが始まる。
数字を叫ぶ声が飛び交い、結局140円くらいで成立。
たどり着いた店では、
柔らかいチキンと大きなホクホクのジャガイモが入ったビリヤニ(インドのカレー風味がするチャーハンのようなもの)とフライドチキンを食べた。
女性用のゾーンがあるインドのメトロ
新市街を少し探索してから最寄りのメトロの駅へ向かいそこからMedical college周辺の駅に。メトロのチケットの値段は距離によって決まっているようであった。
カルカタのメトロに乗って気づいたことは各車両の真ん中付近が女性専用のゾーンになっていること。両端は男性専用だ。
女性が電車に乗ると必ずとその専用ゾーンに移動してきて男女分かれて乗車していた。
混雑をしている電車内で性被害対策のためにそのような方法がとられているインドに関心。
それでも、レイプ被害などが絶えないみたいですが。。
3月8日だった国際女性Dayでも、
インドでは、盛大にイベントが行われたらしい。
宗教的文化的に女性の権力が虐げられてきたインドでは、国を挙げて女性の権力向上に努めようとしていることを改めて感じた。
カルカタに来たなら
間違いなく行くべきジューサーバー
ホテルの近くにある、現地の人から人気な話題のジューサーバーへ向かった。
店一番のおすすめということで私はココナッツシャーベットジュースを注文。
控えめに言って、ここ最近飲んだジュースの中で1番美味しかった。
恐るべきインドの空気の悪さ
さてその夜、ホテルに着いてから、冒険後、鼻をかむと鼻の中が黒くなっていた。
50メートル先は白く曇っている外気のことを思い出すと、頷ける。
インド人の喉は一体どれだけ強いのか、
生まれてあの環境で育つことで強くなっていくのか。
先天説なのか後天説なのかどちらでもいいが
あぁ、マスクが欲しい。。。
怒涛のインド1日目が終了。
2日目に続く。
【ツッコミどころ満載 インド旅 〜カルカタの街をぶらり②〜】 - さくログ
【デンマークの無料の医療の実態】
Hej! どうもこんにちは!さくらんぼです。
ご無沙汰しております。
今回は、「デンマークの無料で受けられる医療の実態」について。
1年間、住民としてデンマークに暮らしてみたからこそ感じた事を書きたいと思います。
[これが私の最初のイエローカード]
住民票のようなものが送られてきます。
この保険証には
自分の家庭医の名前、連絡先、病院の住所、
自分のCPR No.(市民番号)などが記されていて
病院での診察を受けるにはこのCPR No.が必要。
家庭医が決まっているため、軽い病状の時はそれぞれ決まっている小さな病院へ行く。病状がひどかったり、さらなる検査が必要だと判断された場合は
市の大きな病院へ通されるという流れなのです。
このように、一見効率がよさそうに見えるこの家庭医制度なのですが、
実際こちらに暮らしていて私や周りの友達の経験したことは
予想していたものと少し違っていたので以下に書いていきたい。
1.消えた私の家庭医
初めて自分の家庭医で診察の予約を取ろうととした時、
自分のイエローカードに記された電話番号にかけてみると
録音音声: Vi er lukket %#<|=〒×....
私: ん?なんだこれは。
急いでる口調でデンマーク語の音声メッセージが入っていた。
デンマーク人の友達になんて言ってるのか聞いてみると
「あ~なんかこの病院、数日前に急遽閉めることになったって言ってるよ~」とのこと。
「えぇ〜!担当の患者に断りなく、急に勝手に病院閉めちゃうの!?家庭医って人の健康に関わるとこやのにそんな自由に休んじゃっていいんかい!笑」
その他デンマーク人の友達に聞いたところ
家庭医に電話しても「バケーションに行ってます」との伝言メッセージだけ残されていたり、
直接病院を訪ねても全く人気がなかったりみたいなことは割と日常茶飯事らしい。
自分の意思で家庭医を変えるには2000円程かかるのだそうだが、
医師側の都合で家庭医を変更せざるを得なくなった場合は無料で手続きを行ってくれる。
København kommuneという市民センターのような機関に連絡をして
新しい家庭医を取り付けてもらった。
その結果、
私が住むコペンハーゲン内には割り当てられる家庭医はもう余っていないとのことで、
家からバスで1時間弱かかる市外に位置する病院の先生が私の新しい家庭医となることになった。
結果から言うと、新しい医師には低用量ピルを処方してもらったのですが、
良心的でとってもスムーズだったし
「何なら初めからこの先生がよかった。。。」と痛切に思ったのでした。
いい家庭医に巡り合うことができれば、家庭医制度はとても有効
なのかもしれないけれど、その先生に巡り会えるとは限らないと感じました。
2. 話を盛らないと予約が取れない!?電話予約受付
家庭医家庭医が電話を受け付けているのは病院によって違うものの平日の11時から3時などでそれ以外の時間帯は予約を受け付けていません。家庭医自体は基本土日は休み。
112これは救急車を呼びたい時の番号。デンマークでは急救急車を呼ぶのにはもちろんお金はかかりません。 1813平日の限られた時間帯しか予約ができない家庭医のアポイントメントを取る余裕がなかったり、家庭医がバケーションなどで取り合ってくれなかったりした場合やどうしても急いで医者に診てもらいたい時のために、24時間で受け付けている緊急用の番号。
しかしまた、この予約を取り付けるのが一苦労。
電話越しの会話から戦いは始まっている。
私が原因不明の38度の熱が出た後、
ずっと2週間ほど自分が持っている薬や市販薬を全て試しても扁桃腺の痛みが
引かなかったので専門家にみてもらいたいと思い、1813に電話した時の話。
1813: CPR. No(市民番号)お願いします。私: (000000-0000)です。
1813: どうされましたか?
私: 2週間前ほど38度出て寝込んでからずっと扁桃腺の痛みと風邪の症状が治らなくて薬局に勧められた薬を使っても全然効かなくて。。。
1813: 今はじゃあ熱はないんですね。ん~じゃあ休養を取ってれば治ると思います。
私: あ、え、、?でも2週間もいろいろ試して自力で治らないんですよ。だからお医者さんに診ていただきたいんですよね。
1813: んーまぁ痛いと思うんですけど、でも他の患者さんもいますし診察は必要ないと思うんで、市販の薬飲み続けてください。それでも治らなかったらまた連絡してください。(めんどくさそう)
私: あ〜そうですか。。。。(納得いかないながらも相手の雰囲気を感じとる)
1813: お大事にね。ババイ。
私: 。。。。
デンマーク人の友達にその後、1813について聞いてみると、
1813は、そう簡単には医者に会わせてくれないから病状を盛りまくって、
どうしても医者の診察を受けたいんだと何度も伝え続けるしかない。
ということを教えてくれた。
現地に住む友達から事前情報を聞いておくことはとても大切だ。
3. デンマークの病院での診察
2で説明した通り、本当に病状が辛くて薬が欲しいのであれば、粘り強く自分がどれだけ苦しいのかを1813に訴えなければならない。
その試練を乗り越え、予約をこぎつけたとして
すんなり予約した時間に診察が受けられるなんてことは期待してはいけない。
私が友達の診察の付き添いで行った時は
38度の熱で意識が朦朧としている中、アポイントメントの時間から1時間以上待たされた。
やっと名前を呼ばれて順番が来たと思ったら1分で結果が出る簡単なウイルスチェックで終了。
アポイントメントの時間から3時間ほど待たされたという話を聞くことまで珍しくない。
4.ミニマムな処置
また、出産の時の入院に関しても、ミニマムな処置が見受けられる。
大学の教授がデンマークで子供を出産した時の話をしてくれた。
デンマークの出産費は無料で妊婦さん達は市の病院か家で赤ちゃんを生む。
全ての妊婦さんが市の病院に行くわけでだから、やはり効率が重要視される。
子どもを無事産んだら、回転を良くするためにもできる限り早めに退院させられる。
2人目の出産だと慣れているだろうということで、子供が生まれたその日のうちに帰らされてしまうらしい。
そこで具体的に感じたことが2つ。
1.”本当に”治療や診察の必要な患者とは?
治療や診察が必要でない患者と必要な患者の線引きは日本よりも明らかに厳しい。
デンマークでは、医者の給料も診察代や治療費も全て国民の税金で支払われている。
その分デンマークも最小限の出費で抑えようとしているのであろう。
だからこそ、多少の風邪だと判断されると寝て治せと家に帰される。
そのかわり、骨折などの致死的な大怪我、致命的な病気などをした場合も、
デンマークの保険が降りる。
つまり、無料で手術、入院もさせてくれる。
また、出産のための入院や手術、中絶手術なども無料で行われる。
「本当に治療が必要な人たちのための医療」ではあるが、逐一病院へ行って診てもらいたいという
2.病院に対して、何を求めているのか
「健康に生きる」という基本的な人権に密接に関わってくる医療、病院だが、
デンマーク国民は生まれた時から、「ある程度の風邪なら寝て直せ」という
価値観の元で育っているため、そもそも国民にとっての病院の在り方が違うのかもしれないと感じた。
国民皆保険のおかげで比較的安く、質が高くて親身になってくれる医者がいて、基本的にいつでも診察や治療が気軽に受けられる日本の医療に慣れている私が、
デンマークで医療を受けた時に期待を下回るサービスを受けたために、
落胆してしまっただけなのかもしれない。
国も変われば、医療システムも変わる。
現地に行くまでは「デンマークの医療は無料!なんて最高なの!?」とばかり
思っていました。
良い面も発見できた中で、現地で体験してみないとわからないネガティブな部分の実態も知ることができたのでした。
それではhej hej~!
【教育先進国 デンマークの私立高校に行ってみて】
Hej! どうもこんにちは!
さくらんぼです。
デンマーク4月上旬、やっと暖かくなって来ました!
最近は湖畔を散歩したりも日向ぼっこしたりするのも気持ちがよく、春が来たなぁとほっこりしています。
さて、今回は1月頃に友達に連れられて
デンマークの私立高校にお邪魔してきた時のお話。
日本との違いも多くみられる、先進的な教育現場を感じてきました。
今回行って来たところは途中からも入学できる中高一貫校だったため中高が併設されていました。
[オフィスかと思ったら学校]
[住宅街の一角にあり校舎の逆側には目の前に特大サイズのモールがある]
私を連れて行ってくれたのはギャップイヤー中の仲良しなデンマーク人の友達2人。
早速、中へ
[いかにもデンマークらしいお洒落なデザイン]
外の自然光が差し込んでくる空間を自由に使った開放的で独創性のあるデザイン。
デンマークの秋冬は晴れの日が少なく日照時間が短い。
だからこそ広いガラス窓で可能な限りの日光を建物の中に入れ込むことができるように作られている。
デンマークので新しく建てられたモダンな建築物にはデザイン性の高いがたくさん!
一方で、古い建物をそのままリニューアルして作っている学校も多く、歴史的な雰囲気が出ていてそちらも素敵。
日本のことを考えると、地震大国だから建物自体の耐性に一番気が使われるため、人が日常的に使う建物をこのような超デザイン重視型にするのは難しそう。やはり、その国の特徴にあった建築スタイルが発展していくんですかね〜
[もちろんトイレは男女共用]
連れていってくれた2人は
男女共用だと女子はトイレが遅くて混むから嫌だと不満げでした笑
ここは天国か。
[リラックスできるスペースがたくさん]
ラウンジにクッションがあって休み時間には、そこで友達と話したり課題をのんびりしたり
できるらしい。
[中高共用の図書館]
高校生のみならず、中学生も当たり前かのようにMy laptopを持っていているようでした。
[図書館で漫画発見]
NARUTOとかメジャーな日本の漫画がたくさん置いてあった。
デンマークの高校にお邪魔して感じたこと4点
先生と生徒の距離が近い
一緒に来てくれた2人の仲の良かった先生に会いに教員室へ
彼らは先生と盛大にハグをして感動の再会を果たしていた。
わぉ!仲良いな!!!!
[壁のない教員室]
教員と生徒の距離を縮めるためでもあるのか
教員室が教室で区切られていなかった。まぁ、つまり廊下にあった。
周りがうるさくて集中できないと先生方は教室の方の教員室に入って作業をされるそう。笑
先生は教員室にいて用があるときは、
少しドキドキしながら教員室に入り「失礼します。○年○組の○○ ○○です。○○先生いらっしゃいますか?」
というセリフを決めるという、
お決まりの流れがあった中高時代の自分たちを思い出し、
懐かしく思った一方で
デンマークの生徒たちと先生とのスペースに線引きがないということに生徒と先生の距離の近さを感じた。
学校全体規模で行われるクラブパーティーでも先生と一緒に踊ったりすることも普通なんだとか!
自由度が高い
廊下を歩いていると机と椅子が並んでいた。
ただの勉強スペースだと思っていたら
なんと
そこでも授業をやっているではないか。
[これも授業スペースなの!!?]
プロジェクト型で先生がほとんど生徒たちに干渉せずに行うスタイルの授業は
こういった教室の外の空間で行われているそう。
「いや絶対集中できひんやろ」
と心の中でツッコミを入れたさくらんぼでしたが
プロジェクトに取り掛から中でクリエイティブな発想を生むためには
とてもいい環境なのかもしれない。
また、話を聞いたところ、
学校の授業コースの自由度が高い!
コース(アート、国際政治etc...)があって
どのコースを取るのかを先に決める
↓
受けたいクラスを
自分が選んだコースの中から選択
↓
クラスの中でもレベル別に分かれていて
(Advance, immediate, basic)その中から
自分に合ったレベルのものを選択。
選べる授業の自由度がたっかいたっかい。
まさに大学の授業ような感じでした。
だからその分HR(ホームルーム)みたいなものはないらしく、「日本ではHR対抗の学校イベントがたくさんあるよ」と話したら興味深そうにしていました。
先進的なICT教育導入
[化学の授業らしきレクチャー]
ここでもプロジェクターが使われていましたが
ICT教育に力を入れていることをひしひしと感じた。
見る人全てがLaptopを持っていて、
授業中はパソコンを広げてカタカタやってる。
やっぱり授業ノートはほとんどみんな
Laptopで取っているらしい。
その一方、レクチャー形式の聴くだけの授業だと、授業中にネットサーフィンをしたりFBやメッセンジャーで遊んでいる生徒が多いみたいだった (いや、まぁそうなるよね〜)。
そのため、Laptopを使わない主義の先生もいるみたいでした。
このご時世、ITリテラシーや情報収集能力、Microsoft officeなどの運用能力をつけるためにも日常的にICT教育を行うことにもちろん非常に意味がある。
教師側の使い方、使わせ方によっては、ICT教育の良さを消してしまっていることも多いんじゃないかと思う。
それを踏まえて、改めて生徒の自発的モチベーションが高まるような学び(アクティブラーニング)とICT教育の相性はとてもよく、そこを追求することの大切さと感じた。
放課後の過ごし方
放課後の過ごし方が日本と割と全然違う。
勉強に打ち込んでいた子もいれば、バンドを組んで音楽を作ったり、クラブチームに参加してたり、パーティーをしたり。
ここの高校では月に1回のペースで学校でクラブパーティー行われるらしく、そのほかにもホームパーティーを誰かの家を貸し切ってやったりしていたそう!!(デンマークのパーティー文化を日々感じてます)
- 部活動について
案内してくれてる2人に、
日本では放課後は多くの生徒は部活動の練習にいく(もちろんクラブチームや課外活動で活躍してる人も多くいる)という話をしていた時のこと。
どうやら
基本的に部活動というものはなく、あったとしても
部活動に入っている=芋くさい、真面目
みたいなイメージらしく
地元のクラブチームなどの方がポピュラーらしい。
「そんなことよりパーティーとかクラブ行くとか楽しいことあるやん?!」
と力説する友達。
「でも日本の部活動って部によってはほぼ毎日練習があったり、地区や全国の大会に向かってみんな(それぞれ)で目標立ててやったりするんだよ」
と日本の部活動について少し話してみた私。
すると「学校っていう組織の中でそんなことできる日本人は本当すごい。俺は日本のそういう頑張り屋な文化が好き。日本人は自分たちに誇りを持つべきだと思う!」と彼は感激していた。
おお〜、確かに。
日本にいると気が付かなかったけれど
部活動が日本全国の学校で教育の一貫として行われているのって
改めてみるとかなり
しかし最近は日本でも部活動については、賛否両論。
部活顧問は教員の仕事を増やしてるんじゃないか、外部コーチを取るべきか否か、部活動は体罰、など様々な議論がなされていますが。。。
これからも日本の教育の特徴として残っていってほしいものですね。
今回デンマークの高校に行ってみて、
日本の高校との教育制度や授業のスタイルの根本的な違いが見えた。
国が変われば(日本でも校風によっては)、"青春"の形も雰囲気も違うんだなぁ。
その人が世界のどこでどんな青春を過ごしただったとしても、
あの思春期の多感な時期の記憶を呼び戻す時の感覚は
それぞれにあるのだろうなぁと思いました。
では、今日はこの辺で!!Hejhej!!
デンマークの教育について詳しく書いた記事はこちら
【平等の国デンマークの教育ってどうなってるの? -Education for everyone-】 - さくログ
デンマーク独自の大人の学校 Folkehøjskoleの記事はこちら
デンマーク発祥!大人の学校 Folkehøjskoleに行ってみた。 - さくログ
【-エシカル消費- オーガニック大国デンマークでの生活、インターンから感じること】
Hej!どうもこんにちは!
さくらんぼです。
今回は1月から私がボランティアインターンをさせてもらっているCafe Mellemrummet/ Globalhagenとコペンハーゲンでの日々の生活から今世界でも注目されつつあるエシカル消費について考えたいと思います。
Globalhagen | Visit the most lively and colorful part of Copenhagen
住所: Ravnsborggade 11, 2200 København
エシカル消費とは、
環境や人権、社会や地域について配慮しながらより持続的で豊かな世界を実現するため、意識的な消費行動のこと。
例えば、商品Aと商品Bのどっちを買おうかと比べた時に
『商品Aは地元産でオーガニック商品だから』
『お。フェアトレードマークついてるし商品Aを買おう』
『これは動物に優しい・環境に良さそう使ってるな』
というように商品の生産過程や背景を考えて買いたいものを選ぶ、
それがエシカル消費の考えです。
「皆さんは普段どのようなことを考えながら
お買い物されているでしょうか?」
私がインターンをさせてもらっているHostel &Cafe Globalhagenではエシカル消費が推進されていて出来る限りのオーガニックそしてフェアトレード商品を取り扱っていて、できるだけ環境に優しくカフェの営業を行っている。
[カフェで働いているスタッフはなんと全てボランティアで構成されている]
ここで働いている友達の中には、ホステルに無料で住まわせてもらっている代わりに決まったシフト数以上は入って働いているという人も。
[落ち着いた店内](もはや宣伝である)
[Øマークやロゴが付いているものは全てオーガニックまたはフェアトレード商品]
カフェで取り扱っている商品の95%以上が国が認可したオーガニック商品で、
約70%以上の商品はフェアトレードで適正な価格で生産者に代金が正当に支払われている製品を取り扱っています。
デンマークではこういったオーガニック製品や食品を中心に取り扱っているカフェ、ボディケア用品屋さん、洋服屋さんを街角によく見かけます。
世界一オーガニック国家、デンマーク
それもそのはず、デンマークは実は1987年に世界で初めてオーガニック商品の国家管理が成立した国。
その時から、デンマークには オーガニックな商品であることを示すØというマークがある。
その結果、デンマークの食品市場のうちのオーガニック商品が占める割合は世界1の7.6%なのである(JETRO,2012年)。
このØとデンマークのロイヤルを象徴するこの王冠のサインはØ-label(Økologisk)と呼ばれ、
国から認可を受けたものでこのØ-labelがついている商品は国民からの信頼度がとても高い。
スーパーでよく見る認証シリーズ
フェアトレードのマークは皆さんご存知のこれ
製品に対するFairtrade認証マーク
団体に対するFairtrade認証マーク
Rainforest Alliance
このRainforest Allianceは1987年地球環境保全のために熱帯雨林を維持することを目的に設立された国際的な非営利団体。生産者の生活向上とともに熱帯雨林の持続可能な管理を目指して、森林/河川の保護、農薬の制限や廃棄物の管理、農民やコーヒー農園で働く労働者の生活向上や、子どもたちの教育/医療の保障などの基準を満たす農園に対して認証が与えられています。(Rainforest Alliance Webページより)
UTZ Certified
国際的な優良農業実践と農業管理、安全で健全な労働条件、環境の保護を審査基準として
厳しい審査を潜り抜けた製品だけがこのUTZ Certifiedを与えられる。
Rainforest Alliance とUTZ Certified は2018年1月をもって合併したそう。
Organic farming
これはEUのオーガニック認証でEUの農業規格で認められたセクターに付けられる。
日本のオーガニック認証
日本の非常に厳しいJAS規格で認められたものにのみに付けられる有機JASマーク。
日本では輸入品もこのマークなしでオーガニック、有機などの表記をすることは一切禁止なのだそう。
また、オーガニックコスメだとこんな認証があるみたい。
世界のオーガニックコスメ認証団体 - 本気でオーガニックを学ぶならIOTA
エシカル消費を推進する人気ブランド達
ボディケア用品を扱う有名なBodyShop、Lushや
THE BODY SHOP(ザ・ボディショップ) オフィシャルサイトHome | Lush Fresh Handmade Cosmetics
私も大好きな大人気のアイスクリーム屋さんBen&Jerry
Ben & Jerry’s Ice Cream
など、世界的な大ヒットを収めているブランドがたくさん活躍しています。
これらの国際的にも認められているオーガニック、フェアトレードマークやエシカルな面に配慮しているブランドを気に留めながら、
買い物をするようにしてみるだけでも
商品の見方は変わるはず。
まとめ
デンマークでは日本と比べて
国民のオーガニック商品やフェアトレードに対する意識が間違いなく高い!!
オーガニック商品や正当に取引された商品かなどの判断基準、つまりエシカル消費の意識を持って商品選びをしている。
その理由の大きな1つとして、
オーガニックフードやフェアトレード商品がより国民に近い存在であるということ。
Irma(日本でいう成城石井的お高めスーパーマーケット)に行かなくても、
お安いスーパーマーケット(日本の西友・ライフ的ポジション)であるNettoにも
当たり前のように、オーガニックフードやフェアトレード商品が置かれている。
また、日本では普通の商品に比べて、オーガニック又はフェアトレード商品は2-3倍もの値段だったりすることも少なくない。消費者側からの立場としてもあえて高い商品を買うことが億劫になることが多いと思う。
しかしその点、デンマークでは、ものによって多少のばらつきがあるものの、
フェアトレード、またはオーガニックである商品とそうでない商品の値段の差は基本的に百円以下で日本より断然小さいことが多い。
だから人々も手の届きやすいフェアトレード、オーガニック商品を選ぶ。
日本ではオーガニック、フェアトレード商品といえばお金持ちの人々が買うもの、(またはオシャレな人がInstagramに載せるための
フォトジェニックなオーガニックサラダのイメージが強い。←私の勝手な想像です、すみません)
健康、環境への意識が高いデンマークに住む人々にとってはオーガニック食品を意識するのは当たり前のことで、逆にオーガニック商品でないものを買っているのは貧困層の人々というのが現状なのだそう。
デンマークの給食の88%はオーガニック食品を使って作られているというデータも出ている。
その一方で、日本は特にオーガニック後進国であり、エシカル消費概念もデンマークをはじめとするヨーロッパ諸国と比べ広まっていないという状況にある。
日本のオーガニック農地面積はたった0.1%。海外と比べ100倍の差があるのはなぜなのか。グリーンピースに理由を聞いてみた。
普段からエシカル消費の概念を意識するだけで日々の生活、そして人生が変わっていくはず。
自分の毎日の消費行動が少しずつ、でも確かに世界に影響を与えているということを忘れてはいけない。
【Food Sharing -Food waste フードロスについて考えること-】
Hej! どうもこんにちは。さくらんぼです。
2018年3月上旬のデンマークはシベリアの高気圧が張り出してヨーロッパ全体が寒気に襲われていたのでさっむいのなんの。
河口が凍っているのなんて初めてみました。恐るべし。
さて今回紹介したいのはFood Sharingという激アツなfood wasteフードロス関連の活動。
Food Sharingとはデンマークのみならず、カナダ(Food bank)、その他のフランス、ドイツ、スコットランドなどのヨーロッパ諸国でも広まっている社会活動で
レストランやスーパーマーケットなどで売ることができなくなったものの、個人が食べる分には全く問題のない食べ物たちを、貰ってきて、無料で人々に配るというもの。
私がデンマークで行っているFood Sharing の非営利団体はこちらのFood Sharing Copenhagen!
実際にどのようにイベントの運営が行われているのか気になったのでこちらの団体でボランティアをしてみることにしました。それについてはまた今度!
[イラストと図で分かりやすく書いてくれていたボード]
Food Sharingに参加
Food Sharingをface bookのイベント欄に見つけた私は「Free Food」という言葉にただならぬ魅力を感じ、すぐさまイベントに参戦!!
午後1時から始まりで午後3時までやっているとのことだったので、午後1時半ごろに着くように、友達と自転車で会場に向かいました。
会場に着くと、案内のお兄さんらしい人が。
「あぁ〜、君たちFood Sharingのために来たの?もうほっとんどなくなっちゃったよ〜。みんなFood Sharingのイベントオープンの2時間前には列に並び始めてたからね」
ひょ。に、2時間前!?!!
無料 となるとやはりみんな本気なのか。
ほとんどなくなったというからしょぼんとしつつも会場に入ってみると
[まだまだいっぱい残ってるやーん!!!]
人参、きゅうり、ズッキーニ、玉ねぎ、ゴーヤ、カボチャ、ジャガイモ、
赤キャベツ、レタス、ミニトマト、オレンジ、ビート、パン屋さんのパンなどが
机の上に陳列されていました。
ほとんどなくなっててこの量ということは、
早くから並べば多くの種類の食べ物があるということか!!
凄い、Food Sharing !!!
これだけのことができるのは、非営利団体の存在に加えて、販売者と消費者の両者がFood wasteに対する意識も高いからだろうか。
[この日私が得た戦利品、もちろん¥0]
この子たちは後日野菜たっぷりカレーにして頂きました。
このFood Sharing の団体は、さらにこのイベントでも残った野菜やパンを使ってCompost 有機肥料を作っているようでした。
毎日こんなにたくさんのまだ食べられる野菜やパンが廃棄されている思うと、なんとも言えない気持ちに。
しかもこれは一部の一部の一部の一部でしかないのだから。
このFood Sharingのイベントは非営利団体によって運営され、消費者は会場に行って無料で食べ物をゲットするという仕組みになっていますが、
オンライン上ではFood wasteフードロスを減らすための販売者と消費者をつなぐアプリが存在します。
①Too Good To Go
②Your Local
このTooGood To GoもYour Localもデンマークをはじめとするヨーロッパの数か国で配信されていて、
「閉店前になるといろんなレストランやスーパーマーケット、おで余っている食べ物が大安売りの値段になっている情報がアプリ上で更新される。」というもの。
特に、節約生活を強いられる学生たちにとっても最強のアプリです。
日本でもCo cookingという株式会社のCSR活動として、TABETEという事業がスタートするようです。活動は2018年4月頃を目途に始まるそう。
「閉店間際など、まだおいしく食べられるのに廃棄の危機に面している食事を「食べ手」とつなぎ、最後まで売り切ることを応援する、社会派の Web プラットフォームです。」(TABETE HPより)
消費者としては安く食べ物を買いたいし、
販売者としても仕入れて売れ残った食べ物を無駄にしたいわけがない。
販売者の立場からも消費者の立場からも、Food Waste(フードロス)を意識して
毎日の食生活を送ることができるシステムが多くの人が活用されれば
無駄になってしまう命も食べ物も減る。
Food Sharing の会場で”Mottainai もったいない”って書いてあったけれど、
日本語って食に対する感謝の気持ちを表す言葉が多いなぁって思います。
その食事のために、犠牲になった命や作る過程に関わった全ての人に対する感謝を表す「いただきます」「ごちそう様」を欠かさず言うこと、そして出された食べ物を残さずに食べるのが礼儀であるという文化は世界に誇れるもの。
小学校の給食を食べていた頃からも、食に対する感謝の気持ちが染みつくような日本の教育は素晴らしいと再確認しました。
でも、そんな日本は世界有数の飽食大国である。
コンビニや飲食のラストのシフトに入ったことがある人はどれだけのまだ食べられる食べ物が廃棄されているのかを、実際に目にして心を痛めた事があるかもしれない。
でも、見て見ぬふりをしたり、その光景に慣れてしまってきている自分たちがいるのも確かなんじゃないかなと。
有名な話ではあるけれど、地球上に住む人間の9人に1人は飢餓に苦しんでいる。
地球上にある食べ物の量は間違いなく、全ての人間が食べるに十分であるにも関わらず。
この世界のシステムの中で、”富の再分配”ほど難しいことはない。
(興味がある方はWe feel the World ありあまるごちそうなどの映画がおすすめ)
"何故自分がお腹いっぱいご飯を食べることができるのか""どのようなプロセスでこの食べ物が自分の胃の中に入るのか"
を認識ですることで、ありがたみを感じることができると思う。
だからこそ
- 今回紹介したFood Sharingイベントやアプリなどのシステムをうまく活用する
- 食べ物を無駄にしない食材の扱い方を身につける
- 産地や生産方法に敏感になって食品を選ぶ
こういった個人の小さな選択、行動を無意識から意識的にすることが大切なんだと思います。
生きることは食べること。
身近な食をSustainableにするために。
野菜を長持ちさせる保存方法をまとめてくれているサイト↓
<Food Waste フードロスについて考えるときにおすすめの有名映画4選>
最後に、有名どころではありますが個人的におすすめの映画を。
①FOOD.Inc フードインク
② We feed the world ありあまるごちそう
③ JUST EAT IT
④ いのちの食べかた
今回はここまで〜!Hej hej!!