【ワセ女が日本人ほぼ0のフィリピンの孤島で1年間暮らすことを決めた覚悟と想い】
Maayong hapon! どうもこんにちは。さくらんぼです!
この度、2019年3月末から1年間、
「世界の果てまで最高の授業を届けよう」とミッションを掲げる特例認定法人NPO e-Educationのカントリースタッフとして、
フィリピンのカミギン島に滞在し、
現地の教育支援に携わることになりました。
[CEO三輪開人さんとこれから海外インターンの2人]
今回の記事では、大学を一年休学し、e-Educationの海外インターンとして東南アジアの途上国であるフィリピンで挑戦をする決断に至った経緯を初心を忘れないように記しておきたいと思います。
人生観が180度変わったバングラデシュでの強烈な経験
私が人生初めて、所謂途上国と呼ばれる国、訪ねたのは高校2年生の時でした。当時アジア最貧国と言われていたバングラデシュ。
クラクションが常に鳴り響く首都ダッカで見た、ものすごい人の数と勢いで成長していくバングラデシュの都会。
幾らするのかも検討がつかないような煌びやかなドレスがショーウィンドウに飾られている華やかなお店から歩いて5分のところにあるスラム街。
そこには、人々の生活廃棄物、汚物、排気ガス、全てが混ざった鼻が曲がりそうになるような臭いがたちこめる。
自分が日本で生きてきた世界とは、まったく違う場所・環境で強く生きている人々がそこには生活していましたた。自分の非日常で、この人たちは毎日を生きている。
膝から先がない足を見せて一生懸命に物乞いをしてくる6歳くらいの男の子。お腹がぽっこり出ていて道端で下痢をしている3歳くらいの赤ちゃん。両脚がなく台車の上に乗ってひたすらに追いかけてくる男性。
自分の尊厳というものを奪われて搾取され、明日の命もわからない人々がこの世界には沢山いる。その時、人間はみんな平等だという言葉がバカらしく聞こえたのでした。
足りないだらけの教育課題に直面
バングラデシュの農村部、自然豊かで美しいボダに位置する私立小中学校行ったときに感じたのは、教育に対する課題そのものでした。
200人以上いる子どもたちに対して校長先生合わせて7人、教室は3つという現状。
靴が買えない子は毒アリがいる中を裸足で駆け回っている。プラスαの支払いをすることで受けられる補講授業があってそれが受けられないとどんどん落ちこぼれていく。
先生自身に対するトレーニングも施されておらず自信を持って生徒たちを教える方ができなかったり、また給料もとことん安い。
全ての要因が絡まり合い、解決を遠ざけている。
私は、この時ただ自分の無力さを感じていました。当時英語さえも満足に話せず、ちっぽけで本当に何の役にも立てない自分に腹が立ったし絶望した。
日本に帰ってしまえば、何も見てこなかったかのように日本で生活できてしまうという自分の立場がずるいと思った。
それでも、習ったことを私に嬉しそうに話しにくれる生徒たちやボロボロの制服を着て
「高校を出て働いていい仕事について家族を助けたい」
とキラキラした目をした子をみて、
"教育が人生の可能性を広げるための鍵になる"
ということをただただ感じたのでした。
そして、このような境遇にある子どもたちが世界には
たくさんいるということを知ったのでした。
教育が誰かの世界を広げるチャンスをくれる
それからというもの、教育を通じて人の可能性が広がったり、新しい世界が見えて、その人の人生がそれまでよりも楽しくなったりすることに興味を持ち始めました。
心のどこかでは、知ってしまった以上何かしなきゃという使命感のような感情もあったかもしれません。
大学に入ってからも、国際開発学や英語科教職員免許取得のための授業をとったり、
実際に、現地のカウンターパートと協力し、奨学金や交流会を通じてベトナム、
ホーチミンで教育支援を行うボランティア学生団体の中で活動したり。
自分が取り組もうとすることに、
教育というワードが付くことが自然と多くなりました。
イベントを企画、運営をする中で、
現地の人々が何を求めていて、
どうすれば持続的な関係性を続けていくことができるのか、
考える時間がたくさんありました。
[パートナー団体と協同で行っていた交流会]
学びも多かったその一方で、たった3週間の現地の活動の中で、
この短期間で私が現地の課題を本質的に理解して、
そこにいる人々に寄り添って共に成長することの限界と自分自身の傲慢さを知ったのも事実でした。
デンマークへの留学
2017-2018の1年間はトビタテ!留学JAPANプログラムを通して、
「先進国と途上国の人々がどのように繋がり合うことができるのか」
というテーマを掲げ、デンマーク、コペンハーゲン大学に交換留学をしました。
そこでは、大学での勉強に加え、フェアトレード商品を取り扱うカフェ・ホステルでインターンをする日々を過ごしました。
国際協力という1つのテーマにしても、本当に様々なアプローチがあるということを改めた1年間でした。
大学を休学して一年新興国で挑戦する決意
そんなデンマーク、コペンハーゲンでの留学も終盤に近づいてきた頃、私の中で膨れ上がってきた想い。
「このまま、社会に出て後悔しないか?」
帰国して、就活をするなら大学生活はほぼ3年間。自分の中でなんだかまだやりきれていない思いが残っていました。
「もっと長期的に、途上国の教育課題に貢献して、誰かの見える世界を広げる手伝いをしたい。」
大学を一年休学するという決断はもちろん
かなり大きなことで
もちろん家族にも、周りの人たちにも
心配も迷惑もかけたと思います。
でも
" 一回きりの人生で、後になって
挑戦しなかったことの後悔はしたくない。
そして、社会に出る前に今まで逃げてきた
自分の弱みにも向き合いたい。"
その自分の気持ちを無視することができなかった。
私の想いを受け入れて、
応援してくれる家族や周りの人々を持てたこと、
本当に、本当に幸せに思います。
現地で目指したい姿
「開発途上国における学習機会に恵まれない人々が夢や想いを実現し、自分に誇りを持って行きていけるようになる世界」
というビジョンを掲げています。
" 夢や想いを実現し自分に誇りを持って
生きていけるようになる世界 "
カミギン島の情熱に溢れる人々と出会って
一緒にこの世界に近づけたい。
現地の人々の人生に、
ポジティブな影響を与えられるように。
そのために、自分自身が苦手に真っ向から向き合いたい。
自分が生まれた環境に感謝し、応援してくれる大切な人たちに恩返しをする意味でも、この1年間を悔いのないものにしたいと思います。
高2のこの時の自分が出来なかったことを。
長い文章、ここまで読んでくださりありがとうございました!!